アフリカのブラッドレアメタルと子どもたちの授業

タンタルという金属はアフリカの真ん中からやってきました。

アフリカの歴史的背景と、世界中から見捨てられ、戦争し続けているコンゴの授業。そしてその戦争に資金を注入し続けているのが私たちの携帯に入っているタンタル。

タンタル製品の需要がどんどんコンゴに流入し、無政府状態の紛争と村人への暴力と搾取の連鎖を社会科授業で教わる衝撃。アフリカのブラッドタンタルで作る指輪もまたその連鎖の中に取り込まれていて、でも目を背け、黙認し、ノーベル平和賞のコンゴの医師のことも知らないままの日本。

紛争鉱物タンタルは偽装して世界中に流通している

あなたのケータイ、「紛争鉱物」ではありませんか

スマホやパソコンには、レアメタル希少金属が使われています。そのレアメタルの裏側には、世界では過酷な状況下で働く子どもがいることを知っていますか? レアメタルを中心に、私たちが考えていかなくてはならない問題

世界最大のコンゴ紛争、 私たちとのつながり

わたしたちにできる解決方法

多くの人が知る(=関心が増える)←→メディアが関心を持つ(=報道量が増える) →企業が意識し、原料の入手方法が変わる。政府は関心を持ち、緊急支援が増える →NGO などに資金が流れる(=人道支援活動が増える) /by龍谷講座

ステルス紛争

コンゴ民主共和国からの紛争鉱物を止める必要性とは  コンゴ民主共和国の有力な鉱山を掌握した武装勢力どうしの戦うための収入となるから

タンタルとコンゴとわたしたちの携帯電話

そのガジェットコンゴ産かもよ

指輪をはずしずらくなってきた時の関節のサイズをキープする方法は?

指輪がはずしにくくなってきて、関節がこれ以上太くなるのではないかと心配な方の場合、指輪を毎日着けはずしした方が指輪が抜けやすいか、ずっと着けっ放しでもいいのか、という相談をいただきました。

関節は太っても骨が太くなることはありません。骨の中身の密度が変わることがあっても10代の成長期と違って、結婚してから関節の骨の直径は太くなりません。脂肪や水分の取り込み方は日に日に変わります。
そして体型が変わるように指のかたちも変わります。
毎日同じ箇所が締めつけられれば、そこにあった脂肪は移動します。よって、毎日着けなければ指の形も変形は避けられます。
ただし結婚指輪は毎日つけはずしするものではなく、よほどメンテナンスに出す以外、肌身離さず着ける方の方が多いです。
もしも抜けなくなったらどうしようという気持ちはどんどん膨らんで不安になりますが、入った指輪は必ず抜けます。そして、指は潮の満ち引きのように、細くなる季節、ほっそりする気候というのがあります。
指輪サイズの専門家によれば、気温が高いと皮膚は体温調節で熱を逃がそうとします。具体的には、汗を出そうとします。
血流が活発な時間には指の太さも大きくなっているので、安静にしていて、涼しい時間、血流が活発でない時を選んできつい指輪をはずせば、楽にはずせるということ。

そして、握力をたくさん使った手をフル稼働させたり、指輪を一生懸命抜こうとして指が真っ赤になっている時はサイズが大きくなっています。
クールダンとは、まさに指を冷やして安静にしてあげるとサイズは細くなります。

このように、指はいつもいつも同じ太さではない、ゴムのように結婚指輪が伸びたり縮んだりしたらどんなに楽かと思いますが、そうした性質を良く理解して結婚指輪の号数を決めたいものです。

チタンとゴールドとの合金

チタンとジルコニウムの合金というのが医療で使われていますが、
次世代の合金、チタン75%:ゴールド25%の合金、チタンゴールド合金というのが発明されたそうです。
純金が24kですから25%だと6Kということに。
6K金チタンということになるでしょうか。
さまざまな硬さの金属がある中、ゴールドは柔らかい方の部類に属するので、いろいろな金属との合金がうまくいくのですが、酸素との結合が邪魔をしてチタンの場合技術的に非常に難易度が高い中、また一歩前進をみたということ。ゴールドのブレンドされたチタンの色はどうなるのでしょう。
チタンと窒素の結合で鮮やかな金色が出ていますので、チタンとゴールドも金の輝きを放つかもしれません。
映画アイアンマンの装甲も「金とチタンの合金」で出来ている想定だったわけですが、未来を先取りしていたということになります。
開発した化学者もアイアンマンに出来るなら現実にもできると考えたのか、どちらが先だったのでしょう。

国も積極的にチタン合金の次世代へ向けた開発に力を入れて取り組んでいます。
次世代チタン合金 技術開発

人気のチタンリングが危険?

指から抜けなくなる危険性が高いのは変形し易いプラチナ

結婚して新居のベッドを移動させた際にプラチナの指輪が歪み、指から抜けなくなったり、自転車のブレーキをギュッと握ったときにプラチナのリングが歪んでしまい、ペンチで簡単に直した経験など白金は純度999ほど柔らかく、とても扱いには気を使います。
危険なプラチナの座を今、おびやかしつつあるのがチタン製のマリッジリングで、プラチナよりもっと危険な金属を見つけようとチタンの危険性コラムが書かれます。

金属の化学的性質という観点から

金属を電気化学列またはイオン化列で不活性か活性かという観点から見た場合、プラチナもチタンも不活性≒安定した金属ですが、プラチナとチタンを比較した場合、イオン化傾向が小さい、化学反応性のポテンシャルが小さいという点で同等です。貴な状態の金属としてはチタンとプラチナが同レベルのメタルです。

いったい何が危険か

それはプラチナが結婚指輪の素材としてチタンにその座を奪われる危険。チタニウムの話題を取り上げるブロガーも増えたこともあり、従来の貴金属ジュエリー業界からのチタンに対する嫉妬とも取られかねないネガティブキャンペーンがネットに溢れてきた感があり、本物のチタンブームが到来したことの証しとなって表面化。従来の既存の宝飾業は戦々恐々なのでしょうか。
化学的でないにせ化学のような都市伝説もあります。
肩が凝るのは霊のせいだという記事を載せていたサイトが炎上したり、電磁波を集める金属があるとか、電磁波がなにかも定義されないまま伝説は語り継がれてしまいます。そうした不安を煽られ電子レンジを捨ててしまう人までいらっしゃいます。
単なる水を○○イオン水○○水素水といったり、掃除機をプラズマクラスターがイオンでアレル物質を…とアレル物質という造語をうたったりしています。実際にはアレルゲンというワードを使うと薬事法に触れてしまうため不思議な造語で広告しています。

硬い金属がたくさん加工できるようになり新しいレアメタルであるチタンのジュエリーも作られるようになりました。
既存の貴金属があまりに柔らかく、新種の金属が硬いのですが、加工できるわけですから、切れないというイメージができたのでしょう。

チタンは硬くて切れないから危険などというチタンをよく知らずに書かれたフレーズに対する逆説

チタンは安心」が載せられています。ネガティブに対抗したポジティブな実験のようです。

タングステンとチタン以外に硬い素材はタンタルやハフニウムやニオブやイリジウム、パラジウム、サージカルステンレスなどなどジュエリーの金属はたくさんあるのに、なぜタングステンとチタンのことをわざわざ挙げているのでしょう?プラチナ業界のひとの思惑を感じます。デザインでユーザーが選ぶのが本筋ではないでしょうか?

タングステンとタンタルとゴールドについては私たちは知らない事が多すぎます。
切れないから危険とか硬いといったことと別の次元で危険もあります。タングステンとタンタルとゴールドの産出地において起こっていること:タングステンとタンタルとゴールド知らないでは済まない現実があります。

 

 

人類と金属とアレルギー

その物質と人類との関係のなかでどんどん金属アレルギーのもとは変わっていくようで、ひとと触れていない、あまり知られていない新しいレアメタルは、まだ金属アレルギーの原因になりえていない、つまりチタンであっても今はアレルゲンと認定されず皮膚科のパッチテストの対象にさえならないけれど、あと100年もしたら、チタンもタンタルも、ジルコニウムも見慣れた金属になり、金属アレルギーを引き起こすかもしれませんということらしい。

自然の樹木でさえ、草でさえ春アレルギーや夏アレルギーなどと言われ、いろいろな対外物質がアレルゲンと解明されつつあって、金属がアレルギーを引き起こさないわけがないと言われてもしょうがないと思います。

実際に今は皮膚科でチタンのパッチテストは行いません。アレルギーの原因として認定された金属の範囲外なのです。

チタンでは金属アレルギーにならないと聞きましたが

チタンのアクセサリーと着けてかゆくなってしまったのでサージカルステンレスのマリッジリングを探しているというひとがいますが、中身まで純チタン製であれば、チタンの脱不動態が起こらない限り、空気中でチタンが皮膚に対して化学反応はしませんので、素材が違うことを疑います。チタンのどんなアクセサリーを着けてそうなってしまったのか、くわしい素材が作り手によってどう接合されたかでわかるはずです。一度皮膚科を受診すれば、実際に何の金属に反応するか調べるには皮膚科のパッチテストという方法もありますが、おすすめしません。

パッチテストは皮膚にかゆみの原因を塗りお風呂に入らない状態で2日目にもう一度受診し、3日めにも受診し7日目の受診で判定されます。週に4日行かないと検査結果がはっきりしませんし、わざわざ痒くなる薬を塗られ痒いだけではなく、赤くなったりただれることもあります。跡が残ってしまうことさえ起こります。

ニッケルが使われた金属にチタンが薄くコーティングされたアクセサリーをチタンと称して販売されているケースがあるとききます。

金属アレルギーに対応しているのは純チタン製のジュエリーです。

シルバー製のアクセサリーにチタンコーティングしたものにはニッケルが使われる可能性もあり、大変危険です。

これを着けてチタンでアレルギーになったと勘違いをするひとがいるようですが、チタンアレルギーかどうかすぐにわかるには、歯磨き粉の成分を確認してみましょう。いつもお使いの歯磨き粉にチタンが配合されていて、口の中にただれが起きていたらアレルギーを疑うかもしれません。歯磨き粉は大丈夫だけれど、チタンアクセサリーはかゆいという場合は、チタンではない偽物の金属製のアクセサリーの可能性が高いでしょう。

油膜を取り除くだけで色が変わるチタン材

チタンというのは、玉虫色のような少し干渉色のような光かたをするのをご存知でしょうか?

 

手の脂分がチタンの表面に普不着しただけで、何か汚れのような、茶色っぽい色に変わったところが出ます。これはチタンが時間とともに変色したと勘違いするひとが多いようですが、実は油膜によって黄土色がかった光の反射を眼がとらえただけで、油膜をきれいに拭き取ればまた美しいチタンにもどるのです。

古くなったような黄土色に似た濃いグレーに反射するために、マットな表面にはなおさら突出して茶色い印象を与えます。

でも実際にチタンが酸化したり変色したりするのではなく、油膜で反射が変わるだけなのです。

和装小物とアクセサリー

ジュエリーと

とアクセサリーの違いとか定義などないにしろ、雑貨的な要素をぬぐいきれないのが和小物たち。

たとえば珊瑚や象牙でできているけれどかんざしというとジュエリーというのとはまた若干ニュアンスが違う。

実際に最近の雑貨屋さんには髪留めのカテゴリーでかんざしがカジュアルに取り扱われているから。

帯どめとなるとこれはまた違う。そうそう雑貨屋さんにはないからだ。

着物の知識がなくとも、根付というのもある。現代根付なるものまでコレクターが生まれるほど、こだわるひとにはとても魅力的なジュエリーというのもある。

未加工の自然と、人間の加工

草ぼうぼうの草原と手入れされた庭園。

伸ばしっ放しのひげと、整えられたひげ。

たるみっぱなしの肥満と、鍛え上げられた身体。

手を入れるということは、どういうことなんだろう。

素材のありのままの料理、調理に手間暇かけられた料理。

もともとの自分の顔と、化粧した顔、自分の顔として所有するからには責任をもつということ?

結婚指輪も。

服なんか気にしないどうでもいいという人

ファッションなんて興味ない、服などまったく気にしないというひとでも服をまとって生活しているし、その服は大人なら着せられているのではない、主体性をもって着ているのです。ひとには選択の自由というものがあるのだから。

着たくてきているのではない、たまたま着ているとはいいつつ、下着のうえにきちんと服を着て歩いているのですから、社会に適合した服装をしているということ。ファッションに興味が無いから私はファッションは関係ないといっている人でもファッションを自らの意志によって、今日のその場にあったものを判断して選んだ服だと言えます。

服なんてなんでもいいのだと言っていても、そのカテゴリーの記号としての服を選んできているわけです。どんな服、どんなアクセサリーを選ぶかは、そうしたカテゴリーに身を置いて、知らないうちにみんなと同じ格好をして、そういうタイプ別のグループの一員になって生活しています。どうやって生活していくか、どういう考えを持って行きていくかも知らないうちにそのカテゴリーの一員になっています。原宿を歩くとき、原宿を歩いておかしくない人の格好をしているし、女性は女性の服を着て、男性は男性ものの服を身に着けています。たまに、男性なのに女装し化粧をし、あえて目立って注目されることに快感を覚えるタイプの人も、やはりそのような女装のルールというのがあり、ヒールをはきメイクをしています。

服装にはファッションにはすべて記号があるのだと思います。指輪もそうした記号のひとつです。

そのひとを構成する記号、要素のひとつになっています。ひとはそうした記号を読み取って関わっています。そしてより社会の一員としてどういう記号になりたいか、意識的にメイクをする男性もいれば、まったく頓着しないと良いながらもその年代にふさわしい服を来てそこに収まっています。

そして寒くなければいいとか裸でなければいいというだけで服をえらぶのではないということです。だれもが社会の中のだれかにならなくてはいられない、何かの顔を持たなければ居られない場所に身を置かれています。社会的ポジションにふさわしい格好と顔をさせられます。ただし、その目に見えない縛りに常にがんじがらめにされているかというと、そうでもありません。社会のポジションそのだれかは誰になっても自由で、ファッションとかモードと言われるものは、その何者かになる手助けをしているのでは?と思ったりします。日によって誰になっても良い、好きなカテゴリーを選ぶことができ、例えば曜日によっては変身する自由があります。ただしフォーマルな場に対する人々の観念は別ですが。

食事もそうです。食べられればなんでも良いならえさになってしまいますし、奪えば良いということにも。人間は秩序の社会で生きて行くいきものなのだと思います。

記号という意味での指輪を東京明治通りで作っている工房があり、その工房の外では大通りの休日の人々に目をやると

明治通り、表参道の日曜日に毎週のように、原発やめろのシュプレヒコールとデモ行進があります。ここのところ雪だったり寒かったりで下火になっています。
原発だけでなく、イランイラク、中国モンゴル、同性愛を認めろなどさまざまなデモ行進があるなか、毛皮を着るな、毛皮を買うな、動物を殺すなとさけぶファー反対とファッションのまち原宿に対して叫ぶデモがあります。これをブルーレーベルの前で大きく叫ぶわけです。ビルの奥にいて音楽をかけていたとしても聞こえるくらいの拡声器の音量です。動物愛護協会のことも理解できるわけで、これにともなってファーを使うことをやめたファッションメーカーもいます。

動物を殺すなという考え方も、野菜しか食べないという選択も、ある思想に偏っているカテゴリーで、そうしたグループに身をおいている人たちがいます。

ひとはそもそも社会生活を始めた時から狩りをして動物を食べ、植物とは違うカテゴリーとして作物を育てて収穫し生きてきました。ある偏った考えによってイルカ、くじらだけかわいそう、毛皮だけかわいそう、でも食べていくには狩りをしてきた歴史があります。花を摘むのもかわいそう、野に咲く花の方がいいのだという論理。なにかの上に成り立っているすべての社会のしくみがあることを考えさせられます。

 
人はなぜ服を着るのか